越境に気づいてない、けど越えている

14 2月

この記事はDevLOVE AdventCalendar 2014 「越境」の99日目の記事です。

初めまして、azutoricoと申します。Webまわりでウゴウゴしている小者です。エンジニアではありません。Web系と全然違う事も仕事にしてみたくて、越境に絶賛挑戦中。

ちゃちゃきさんから「越境」というテーマで何か書きませんか?とお声掛け頂いた訳ですが、「越境」って何それ難しそう。

メッセージ(by ちゃちゃき氏)↓

chachaki

 

 

w ←この辺が軽いんだけど「越境」はそんなに軽いものじゃないだろう!

私の越境イメージは、過酷な山脈を越えて国境を渡る、とか、大病で生死を彷徨い人生観180度変わった、みたいな何か凄いもの、しかも苦労を伴う。過去に触れた文学や映画の影響だろうな。山脈越えるレベルの凄い目に遭ったこともないし、こともない、というか蜂に刺されたことすらない。骨折もしてなかった。普通は骨折くらいしてる?みんな。全国的にどれくらいの割合の人が骨折を経験してるんだろう?

本題から逸れるから越境に話を戻すけど、本当は越境から逸れて全然違う事を考え始めている。支離滅裂な思考回路で申し訳ない。そのまま文章にしてるのも申し訳ない。

chachaki

「OKでっす!」OKだって。
私は真面目なので、まず辞書を引いて意味を調べた。

■越境の意味
境界線を越えること。特に、法的に定められた領界を無視して侵入すること。(デジタル大辞泉より)

普通だった。言葉の解釈なんてご都合主義の極みだな。なんか安心したので、身の丈に合った自分サイズの「ライトめな越境」を考えてみる。

自分的に今1番ホットな越境ニュースは、作り手と受け取り手の間の「見えない境界線」を無意識に越えること。
「越える」ということは、そこに「境界線」が存在する。境界線は目に見えるものと見えないものがあり、見えない場合は往々にして越えたことに気づかず、時間が経ってから「あの時越えたなぁ」とか「先月越えてたのか」などと思う。じんわりとした感動。

少しだけ自己紹介すると、普段はWebディレクターとして仕事をしてます。元々デザイナーなのでアートワークに携わったり、仲間とコンテンツを作ったりもする。その時の自分は作り手・発信側。昔からアートや文学や映画など、好みが文化系に傾倒しており、好きなものを突き詰める性質で、その時の自分は受け取る側。能動的な自分と受動的な自分、興味のある分野に関わる時は両方を割と無意識に行き来しているけれど、「両方行き来できること」は器用だ、とある人が言った。焼鳥屋で。肉食べながら。その時の私の意識は肉7割:会話3割だった訳だけど(申し訳ない)、「そうかなぁ?」と思う一方で腑に落ちることもあった。
関わるチームを観察して「境界線」がうっすら見えたように感じていた時だったから、客観的に「行き来」を自覚すること事態が発見でもあった。
ちなみに私はディレクター脳にスイッチを切り換えると、どんなに好きなものでもあまり語ることをしなくなる。なぜかわからないけどそうなる。タスクをこなしたり、成果物の質を上げる方に萌えるからか。

指示を出す際にちょいと感じる事→受動的な人の中には、伝える側としての動きが十分にできない人もいる。本人も周りもその特性に気づかないと、そのまま暫く負荷をかける。関わっているものが「好き」ってだけでもチームワークは回らない。しかし知識に関しては、超吸収型の受動的な人に敵わない。
これは成果物や感性の質の話ではなく、マインドの切り換えの話。それがわかった後での適材適所でないと強みを活かせないけれど、切り換えができるかを知るために1度身を置くのもいいかもしれない。秘めてるポテンシャルが開発されるかも。

興味を持つ「受け取り手」の吸収力や知識欲はすごい、そして「作り手」のエネルギーもすごい。両者の間には目に見えない境界線があって、誰でも行き来出来る訳じゃないけれど、制作業界にはそういう人が結構多いんじゃないかと思っている。無意識に越える、それを繰り返している。
受け取り手は、興味の対象に関する知識や魅力を共有したいから語り、作り手は作ること自体の、もっと衝動的なエネルギーみたいなものに注力すると思う。この2つは全く違うものだけど、とても近い。

過去にこの境界線を越えようと思ったかしらん?と考えていたら、小学校低学年の頃に大好きだった絵本を思い出した。図書館で何度も借りるくらいのお気に入りで、私もこんな風に絵を描けるようになりたい!と憧れ、というのは嘘で、それを描いているのが人間ならば同じ人間である私にも描けるはずだ、という勝手な思い込みがあり、その思い込みはなぜか上から目線で、実際に描いて落ち込むということを繰り返した。中学に入った頃は有名画家の画集を読みふけり、小学校時代と同じ思考・行動をとる。
何のスキルもなかった頃の、これが創作というカテゴリで「越える」を試みた最初だと思う。たぶん。無意識に。

見る側と描く側の境は目に見えなくとも存在していて、同種の境界線はどんな分野にも有り、その片側に住む人もいれば両方を行き来する人もいる。

日々活動する中での些細な発見ですが、人と何かを作る時には結構大事な視点だよなぁ、と思ってます。3週間くらい前から。ライト越境万歳。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。